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Posted by チェスト at

結局は目的なんです

2018年08月21日

方法という悪魔に惑わせれないで〜♫
目的、という、大事なものを思い出して〜♫♪


お金とか、地位とか、働く、とか、それって方法であって目的ではないんですよね。
でも、気がつけば目的にしちゃうし、そうすると、その目的のためにまた方法を設定して、気がつけばまたそれが目的になっちゃって・・・
で、どんどん最初の目的は遠くへ行っちゃって、達成するのがとっても困難になる。


気がつきませんか?


勝手に困難にしちゃってるんです。^ ^

方法はなんでもいいんだ、ってそれだけなんです。
目的が達成されるのであれば。


じゃ目的ってなんだろ?
あなたの人生の目的ってなんですか?

お金を稼ぐことですか?家庭を持つことですか?人が羨むような地位を得ることですか?

なんとなく違いますよね?
目的があるとすればその先だな〜って。
うん、それなんですよね。
強烈に意識するのであれば、それなんです。
そこじゃないんです。


そこはね、なんだって良いんですよ。
まさに自由自在です。
こうでなきゃいけない、ってことでも良いんだけど、でもそれは幻影だから、実はどうでも良いんです。
だから、肩の力を抜いちゃって全然構わないんです。^ ^  
Posted by アド山さん at 17:49Comments(0)幸せ

最近はね

2018年08月20日

たまには更新してみようかな〜、と。^^;


目覚めの体験とか、悟りとか、スピリチュアルとか、まぁ言葉も色々とあれば、何かしら特別なものがあるかのように語られちゃうこともやっぱり多いのかなぁ、とか、そんな感じにも見て取れるんですけどね、


ブログを更新していなかったこれまでのあいだも、色々な事を体験しながら生きて来ているんですけどね、

で、悟りを求めてる人たちもいるんだけどね


結局のところ、どーでもいいっちゃどーでもいい事なんだよね。^^;


で、勘違いも生まれちゃう言い回しなんだけど、もし、悟りたい、とか、真実に目覚めたい、とか思うのであれば、あまり求めないほうがいいかもしんないかな〜、などと思うんですよ。
なんでかって言えば、悟りって多分そういうやつじゃないっす。
悟りってこういう事でしょ?って思ってる奴があるでしょ?
十中八九それぢゃないです。^^;

あらら、なんです。


これだけははっきりと言える気がする。

覚者、というのがいたとして、そいつ、人格者でもなければ、賢者でもないっすよ。
良くも悪くも普通っすよ。^^;
悟りってなんやねん!?って言いたくなっちゃうくらいの、めちゃめちゃ普通の人ですよ、多分だけど。。


僕の感覚だと、悟りって、何かになるとかそういうんじゃなくて、ただ俯瞰して見てるだけの話。
その感覚を思い出す。
思い出したら、はい、お目覚めです、って按配。^ ^

あとは何も変わらんのです。^ ^

でも変わっちゃうんだけどね。。^^;




この手の話は言語化が難しいから好き。^ ^
で、出てくる話はやっぱり面白いと思うんですよね。^ ^

ので、また書いてみます。。  
Posted by アド山さん at 01:58Comments(0)

したいからするんです

2014年09月10日

どうしてそれをするんでしょう??

逆に、したいことをしないとして、その理由はなんでしょう??



理由は自分が理由にしているだけで、そうしなければそれは理由になりません。
ということは、できない理由はどこにも存在はしていないんです。


ということになります。
伝わりますか??

では、したいことができないのは自分が悪いんですね、となります。


別に悪くはないでしょう。^ ^
良いとか悪いとかじゃなくて、そういうことなんですよ、って話なんですね。
それが前提なんです。
良いとか悪いって話になると、前提が違っちゃうんですよね。
その違った前提の中を生きているからしんどいっちゃーしんどいんです。

本来はこれだけの話なんですよって事です。


伝わりますか??


したいならばすればいいだけです。
理由を持ち出してしないのであればそれはそれでかまいませんが、その理由は、それじゃないですよ、ってだけの話です。
できない理由ってのをあげますけどね、それは違うってだけです。
では他に理由があるんですよね、って話になれば、理由は探さなくていいじゃないですか。^ ^
だって、結局何かを理由にしようってことでね、堂々巡りですもん。^^;


したいならすればいいだけです。
全部自己責任なんですから。

それを飲み込めるかどうかです。
飲み込めないってことは、ひょっとしたら本当にしたい事ではないかもしれませんね。


でも、なんだかんだとそうやって選別するのって大変っぽくないですか?って思うかもしれませんけど・・・
本当にしたいことはもうやっちゃってますから。^ ^
実はね。^ ^

案外そういうもんなんです。

だって生きてるもん。^ ^

そんなこと言われたって納得はしないでしょう。
納得できないのがある意味正常といえば正常なんですけどね。^ ^

ただ、本当にしたい事はやっちゃってます。
これ、本当なんです。

したいからするだけ。
そして、それをもうやってしまっているって、そんな納得のいかないお話でした。^^;


  
Posted by アド山さん at 20:45Comments(0)頭を柔らかく

問題は本当は存在しない

2014年09月02日

8月は一回も更新しなかったんだ・・・・。

まぁ、あれです。そんな時もありますって。^^;


で、タイトルからの流れなんですけどね、こうやって1ヶ月以上ブログを更新できていないわけですね。
やっと更新頻度が上がるのかな、と思わせておいて、からの放置。
うん、放置してました。^^;
正直、書くほどの余裕がありませんでしたから。^^;


でね、例えばこういう状態を問題だな、と思う人もいれば思わない人もいるわけです。



いろんな人がいろんな問題を抱えています。
僕自身もたくさんの問題を抱えている「と思っています。」


事柄そのものは事柄でしかないわけで、色で言えば無色みたいなもんです。
良いも悪いもないってことはそういうことで。
で、それに対して僕たちはフィルターを通して色をゆけて見るわけです。
だから見ているその色は事柄の色ではなくて自分自身のフィルターの色なんですね。

伝わります??

不愉快な事柄があったのではなくて、その事柄を自分は不愉快だと捉えているって事です。
だって、人によって捉え方は違うんですから。

だから、誰かに言った事が、ある人は好意的に受け取るけど、ある人はめちゃめちゃ批判的に受け取る、ってことは結構よくありますよね??
同じ気持ちで発しているならば、それはそれでしょうがないんですよね。
だってそれぞれにフィルターが違うからね。



と言うことは、やっぱり問題なんかどこにもないんです。


じゃ、問題だと思っている自分が悪いんだ。
悪いとか、問題と思わないようにすれば良いんですね?って話になります。

まぁ、別に悪いってことでもないし、逆に問題があることの何が問題なんですか?ってことでもあるんですけどね。^^;

どうこうしないさいって事じゃないんですよ。
ただ、そうなんですよって話です。
前提はそうなんですよって。
変えたければ、自分が変わればいいだけなんです。
逆に言えば、自分が変わらない限り、同じような問題は解決したつもりでもまた出てくるわけです。
でも、問題は事柄だと思っていますから、それに向かって一生懸命に頑張るんですね。
それはそれで全然良いんですけど^^;、ただ本当に解決したいと思うのなら、矛先が違うんですよ、って話です。


伝わりますか??


でもそんなことはできないって、そう言うんですよね。


じゃ、それで良いんじゃない。^ ^
ずっと同じことをするのだって悪くないからね。^ ^


でも変えたいんなら、そう本気でしたいのなら、まずはその前提を理解しちゃいましょう。
だって、問題はないってこの理屈はわかるでしょ??
まずはこの前提を飲み込むことなんですね。


結局は自分のフィルターで見ているってだけです。
そのフィルターを否定する必要もないんです。否定したってどうしようもないですから。
そのフィルターこそがある意味の「自分」なんですから。^ ^


ただ、そうやって事柄を見ているんですよ、ってことです。
必要なのは、ある意味それだけです。


ね、簡単なことでしょ??

じゃ、それで問題が解決するのかって??
これをね、堂々巡りって言うんですね。^ ^
そうするのが悪いって話じゃないですよ。ただ、堂々巡りだねってことでね。
じゃ、何も解決しないね。
解決も何も本当はないんだけど、堂々巡りをやめればいいだけです。


と言うことは、やっぱり前提は前提として、それを認めちゃえばいいだけなんです。
それだけ。

それだけなんだから難しいことじゃないですよ。
それで何か変わるのかどうかなんて気にしないことです。

楽にね。^ ^
  
Posted by アド山さん at 00:07Comments(0)頭を柔らかく

はじめから幸せ

2014年07月21日

結局はこれなんです。

でも、絶対にそうじゃないって思うんです。そう、思うんです。
目の前にある事象に対して、これが幸せというか良い事なもんか、って思うとしても、じゃ、実際にそれは良いことなのかそうでないのかって話になれば、どう思っているかってだけの話で、良いことでもなければそうでないことでもないってだけの話なんです。

伝わりますか??

物事は全て中立ってのはそういうことです。
でもそうなると、中立なんだからいちいち感情的になってはいけないのですか?みたいなことを思います。
いやいや、中立なんだからいちいち評価しなさんな、ということじゃないんです。^^;

ただ、元々はそうなんだよね、って話なんですよ。

中立なものを評価して善悪つけるから面倒なんだけど^^;、だけど、つけるの。もうね、しょうがないの。
そんなもん。


でもね、そのカラクリに気がつけば、ああ、全ては自分がそう判断しているだけであって、絶対的な善悪などどこにもないことに気がつけるんだよね。
気がつかなきゃいけないってことじゃないんだけど^^;、元々はそんなもんなんだよって。
そう感じれてもいいし、そうでなくてもいい。
ただ、真実は真実として、それはそういうものなんだよね、って話。


で、ちょっと話がどっかいってしまったけど、初めから幸せなんですよ。
いろんな知識や経験とか、常識とか、そういうものが何やらこういうのを幸せと言うんだよ、という刷り込みをしていて、実はそれと幸せかどうかってのは全然関係ないんだけどね、ってことで。^^;
本来は幸せが前提なんです。
だって生きているじゃない?
だから子供はいつだって幸せそうなんです。
だから聖書では「赤子のようでなければ神の王国には入れない」みたいなことを言うんですけどね。
別に、ここじゃない何処かに神の王国があるわけじゃないんですよ。

ちなみにあの世とこの世も同じところにありますから。

次元の違う世界もやっぱり同じところにあるんです。

また話が^^;

私は幸せであったと、そうであるとそろそろ白旗をあげちゃって良いんですよ。
状況はただ状況としてあるだけですから。
それに対してどう思っているかって、それだけの話でしょ?
自分は、例えば、それを不幸だと思っているってだけの話で、それは不幸そのものじゃないってこと。
好き好んで不幸になってしまっているだけなんです。
幸せを勝手に決めつけておるだけなんです。

もちろんそれが悪いってことじゃないですよ。

ただ、そうなんだよね、ってそれだけの話です。

じゃどうしようもないってことなの??って思うでしょう。

だから、どうにかしようとかする必要は元々ないってことです。
うん、だって、最初っから満たされていますから。

それを、足るを知る、とか言ったりしますけどね。

で、どうしてもそう思えないってなれば、それもまた当然の話なんですよね。
  
Posted by アド山さん at 23:38Comments(0)幸せ

求めよ。

2014年07月17日

求めよ、然らば与えられん。

求めることは大事。
求めるからこそ手に出来る。そういうもんです。

でも、絶対に手に入らない気がする。
引き寄せの法則とかいろんなメソッドがあって、それを実践しても・・・って人は多いかもしれないですね。

求めるからこそ手にする。
求めるからこそ手にできない。

これは共にその通りなんです。


例えば、欲しいものがあるのなら手にすればいいんです。
それだけなんです。

でも、そうしようとすると、そんな簡単じゃないって直ぐにそれがそうできない理由をあれこれ考えるでしょ?
だから出来ないだけなんですよね。

引き寄せだろうがなんだろうが、出来ないって前提があるから出来ないんです。
伝わりますか??

出来ない理由をあれこれあげて達成をわざわざ遠ざけているんだけど、それが悪いってことでもないんですが。。
ただそうだよね、って話でね。
それにまず気がつきましょうか。

求めたものが手にできない理由を自分の外にあると信じているから、それを変えない限り手に入らないって思う。
それが違うって事。
理由は全部自分がそうであると決めているだけなんだよね。
別にそれが悪いわけじゃないんだけど、じゃ、その事にそう気付いたら次はどうするかって話、だよね。

自分でそうであると決めちゃうのは思い込みってやつなんだけど、これがいわゆる自我とかエゴとか言われるものなんだけど、この力が凄いんだよね。
これはこれでしょうがない事なの。^^;
だから気がついても、これと戦うからやっぱり上手くいかない。

本当は戦わなくていいんだけどね。^^;

でも戦っちゃうんだよね。^ ^

有り様ってのが一つのポイント。
というか、うん、本当にそれなんだよね。
人生の創造は有り様で決まるんです。

何を求めるか、ではなくどんな自分が求めるか、なんです。
それが引き寄せるってやつなんですけどね。

変えるのであれば前提を変えるんです。

でも、実はそれすらもどうでもいいんですけどね。^^;


  
Posted by アド山さん at 18:53Comments(0)幸せ自我と言われるもの

ただいま!!

2014年07月15日

いや〜、それにしてもかなり長いこと放置しちゃいましたね。^^;

それでも、毎日誰かしらがこのブログを見に来てくださっているんですよね。
本当にありがとうございます。m(_ _)m


仕事の「シェフのひとりごと」も同じようにまるっと放置されておりますが・・・・・・^^;
とにかく全然書く気になれなくてですね・・・・。
うーん、何でだろう??って感じだったのですが、少しだけ気力が戻ってきました。^ ^


ブログで書いているような内容のことをお話しする事もボチボチとあるんですけどね、そして自分自身の気づきなんかも相変わらずあるんです。
最初っから幸せなんだよ、ってことだけを伝えるブログなんですけど、それ自体はとても簡単なんですけどね、でも、分かるように言葉を紡ぐと難しいんですよ。
言葉ってのがそもそも、そういう所から掛け離れさせるためのアイテムでもあるからですね。。^^;


中には、このブログとかHPとか見て僕を「悟りを得た人」と思っちゃっている人もいるんですけどね・・・・







悟りは開いてないですよ。^ ^



ただ、一回気がついただけ。
な〜んだ、ってね。^ ^

悟りではなくて、悟りというものに対する「気づき」でいいのかな?言葉難しい・・・^^;

だから、言葉としてはとても的を得た事も言うだろうし、目から鱗的なことも言います。
でもね、僕はそれをそうだと気がついているだけなんですよ。

例えば、幸せは条件ではないってことで、だから幸せを探すからなくなっちゃうだけで、最初っから幸せなんだよ、って事は気がついています。
では、言うからには僕は常にそういう幸福の中にいるのかってなれば、それは違うんですよね。
大体そうでないっていう世界の中に埋没しています。


まぁあれです。びっくりするくらいに普通の人だし、成功者でもなければ人格者でもないです。
ちょっとお調子者で、だけど料理が得意で、女の子が大好きでだけどちょいと意気地なしな所がある悩み多きおっさんです。^ ^

それでもね、だいぶ違うんですよ。本当に。


ここ暫くで更にいろんなことに気がつきました。
より深くと言うよりは、とにかく有り様なんですよね。

何をしているか、何を求めているのかってのはどうでもいいといえばどうでもいい。
どんな自分が求めるのか、ってことが本当に大事なんです。
だから、幸せになろうとしている時点で、お金を求めても、異性を求めても、地位・名誉を求めても精神的な安らぎや悟りを求めても、全部同じ事だったりします。
求めることが悪いことじゃないんですよね。

ブログの再開はその辺のお話などからはじめて見たいと思います。
  
Posted by アド山さん at 20:46Comments(0)脱却

楽しみましょう!!

2014年04月20日

笑顔は笑顔を連れてきます。

沈んだ顔は沈んだ顔を連れてきます。




子供たちに夢がないとすれば、それは大人に夢がないからです。


一般論過ぎますが^^;、でもいえばそういう事です。



世の中を笑顔にしたければ、夢で溢れた世界にしたければ、まずは自分がそうなるしかないんです。

だってそうでしょ?
考えるまでもないでしょ。
知っているはずですよ。


でも、たくさんの理由をつけるはずです。だから、そうしたいってのは夢物語で、現実はそういうもんじゃない・・・・。
だからそうなっているじゃないですか。


植え付けられてきたものからの脱却はとても大変です。
でも、出来ないって事じゃないんです。
それに気が付けるかです。判断しているのではなくて反応してしまっている事に気が付けるか、です。


愛するものを笑顔にしたいのであれば、まずは自分がとびっきりの笑顔になるだけです。
そうしない理由を反射的に考えている事に気が付くだけです。
気が付けば、笑顔になれます。

大人が楽しまなくてどうするんですか!!
子供たちに、世の中は辛いなんて教えてどうするんですか!!
辛くしたのは大人なのに。。。

大人が楽しむのです。
辛い事は辛いんです。辛い事があるのにそんな事はないんだ、という事を教えなさい、という事じゃないんです。
辛くていいんです。
それでも、人生とはこんなにも楽しいのだという事に自分が気付く事です。


自分を笑顔にしてくれる何かがない限り、自分は笑顔になれない、楽しくなんかない・・・、
うん、分かります。
でもね、ちょっと違うんです。
その違いに気が付けたら・・・、うん、そしたらもっともっと笑顔が増えます。
気が付いた時には、きっとみんな笑顔ですよ。^^
  
Posted by アド山さん at 00:10Comments(0)メッセージ

特別な人

2014年03月22日

みんな特別な何かになりたいって思う。


「あなただけだよ。」


何にしても、そういってもらえるのは嬉しいものです。^^



でもね、そうでなくても最初っからみんな特別なんだよね。
でも、それは裏返せば、全然特別ではないんだよね。
だって、みんな特別なんだからさ。^^


満たされる事のない思いを抱いて、陽炎のように現れては消える満足感、幸福感をそれに求める。
それはそれで悪くないけどさ、それってやっぱり何処かでムリがくるんだよね。
だってさ、相手は陽炎なんだもん。
浮かんでは消えていくものだもの。
それを固定したくてたまらないわけだからさ。

雲は掴めないでしょ?
でも掴もうとして、掴めるはずだからと信じて、だから一時的に掴んだ気になったりして、でもさ、凄く単純な話で掴めないものは掴めないって。^^;
掴めないから掴めないだけの話なんだけど、掴まなくちゃならない、掴めるはずなんだからって事になっちゃうと、掴めないって事が許せなくなっちゃうんだよね。
ずっとそんな事をしているんだよね。^^


雲は掴めないんだって。
それだけ。
掴もうとするなって事じゃない。
掴めないってだけ。
それでも掴もうってするんならそれはそれでいいんじゃない?


特別な自分になろうとしてもいいんじゃない?
でもさ、最初っから特別だから。^^
だから、疲れても絶望する必要はどこにもないんだよね。
目指していたものだったんだから、最初っから。
それだけ。


掴もうとしていたものがどうしても掴めない。
そんな自分を散々に責めてきたけど、でも、その掴もうとしていたものが最初っから掴めないものだったと知った時どうするかな?
ま、何はともあれ笑っちゃうかもね。^^
それでいいんじゃない?


じゃ、たったそれだけの事が分からなくなるのはどうしてなの?


それがエゴってやつですよ。^^
比較したり、評価したり、そんなこんながあるからそれが分からなくなるんです。
でも、そうする為にエゴがあるので、それはそれで完璧なんです。^^

ただ、エゴは存在ではないので、あるがままのそれとはまた違う感じです。
違わないんですけどね。^^;
言葉って難しい。^^;

ま、あれです。
エゴがあるから、個があるという感覚が存在して、伝える、という事を難しくして、比較して、評価して、さらに個の存在感を強くしているだけです。
でも、存在しているものは同じです。存在は存在です。
個は存在というよりは、存在感です。
だから特別じゃないと不安なんです。

可愛いじゃないですか。^^

  
Posted by アド山さん at 18:23Comments(0)自我と言われるもの

苦しさを受け入れる

2014年03月21日

全てがあるがままだと言われても、それで常に最良だと言われても・・・・・



分かります。


仮に納得がいかない、苦しさを抱えているとして、その原因は一体なんでしょう?



目の前にある、そのように感じる現実がそれであると思います。
一番多いのは、こんな自分だから、かもしれません。

でも不思議ですよね。
なぜその自分じゃダメなんでしょうか??

いやいや、もっとこうじゃなきゃダメだから、そうでない自分はダメなんだ、と思います。

じゃ、なんでそうでなきゃいけないんですか?

・・・・・・・・

ここで自問自答は終わってしまうはずです。


本当はそうでなきゃいけないって理由はどこにもないんです。
自分がそうでなきゃいけないって決めているだけです。
理由は色々あるでしょうけども、その理由にもなぜ?と疑問を持った方がいいでしょう。

全部幻影みたいなものです。
それに自分が力を与えて、そうでなければいけないとしてしまっていて、それにそぐわない惨めな自分というものを作り出しています。

これって、どこからどう見ても自作自演でしょ?^^


苦しさって、結局の所、目の前の現実だったり状況だったりそれがもたらすって思うんですけど、実はちょっとピントがずれているんです。
全てはあるがままであり、そして、全てはただ起こっているだけの話です。
そして、それをどう受け取るかは人それぞれです。
ある人にはどうでもいい事でしょう。ある人には喜ばしい事でしょう。ある人には苦しい事でしょう。
現象は同じでも、人によって違うんです。

苦しいってのいうのは、受け入れたくないって事です。
だから、スピでは「全てを受け入れましょう」って事がいわれるのですが、今度は受け入れられなくて苦しんだりします。^^;
受け入れられない自分を受け入れられないって事でね。
こうやってずっと堂々巡りをしているのです。

別に受け入れようが受け入れまいがどうでもいいと言えばどうでもいいんです。^^
苦しさってのは、受け入れられないってだけの話なんで、目の前の事がどうだとかそういう事じゃないって事だけです。

これは自分は受け入れられないんだな、ってだけの話です。
それを、受け入れる、と言います。^^

ね?簡単でしょ?
  
Posted by アド山さん at 15:55Comments(0)脱却

あるがままに

2014年03月19日

あるがままに。


それでいいんです。


それに意味を付けてもいいし、付けなくてもいい。
どっちでもいいんです、

ただ、全てはただあるがままに、いまここにあります。


自分が受け取るものは、全て自分というフィルターを通したものです。
フィルターを外せば、全てはただあるがままにそこに在ります。


ずっとずっと、一度も離れず、いまここにあります。


あるがままに見ようとしない事です。
だって、ずっとあるがままに存在しているのですから、あるがままに見ようってのはおかしな話です。
あるがままに見ようとするのでなく、自分というフィルターに気が付けばいいのです。

そして、それすらも、やがてあるがままである事に気が付くでしょう。

  
Posted by アド山さん at 00:10Comments(0)いまここ

リラックスして

2014年03月05日

もっとリラックスしていいんです。

もっとゆっくりでいいんです。


先々の事に囚われて、その事ばかりに気にしてつい気が急いてしまいますが。
もちろんそうするのが悪いという事ではないのです。
それが好きならば、そうしたいのであるのならば、それを満喫すれば良いだけなんですから。
だけど、そうでないのなら、そうしなければいけないのだからと自分を追いつめて苦しくなっているのなら、それはぽーんと手放しても良いんです。

手放す事がこわくてこわくてどうしよいうも無いのなら、別に無理に手放す必要もありません。
手放さなければならないって事じゃないですからね。^^


ただ、〜しなければならない!!とガチガチに緊張して心に余裕が無くなるのなら、手放す事だって出来るって事を知っていて欲しいだけです。

手放した方が良いと思い、そして手放したくても手放せなくて、手放さなければいけないのにそれが出来ない自分を責めるのも、やっぱり同じように心に余裕が無くなってるだけです。

やろうとしている事が違うだけで、同じ事をしています。

伝わりますか?

手放させなくて苦しいのなら、無理に手放す必要もないのです。
ただ、手放す事も出来るのだという事を知っておけば良いんです。


何にしても、リラックスするだけです。
でも、どうすればリラックスできるんだろうって思うでしょう。

だって、する事だらけでリラックスしている暇なんかないって思っていますから。^^;

だから、いろんなものをぽーんと投げちゃうんです。


それは、思考にちょっとお休みしてもらうだけなんですけどね。

耳を澄まして、聞こえて来る音をただ聞いてください。
いまここにあるものに意識的に意識を集中してみてください。
あなたの目の前の世界は今どんな風に見えますか?

考える事なく、ただ眺めてみるのです。
それはほんの数分でいいでしょう。

それだけで良いんですよ。
  
Posted by アド山さん at 15:47Comments(0)メッセージ

閃き

2014年03月02日

閃く時ってありますよね。
どうしてそう思うのかよく分からないのだけど、だけどそう思う時。


僕のいまの仕事も、そういう感じで閃きました。
なぜそれをするのか、その理由は後からいくらでも付けられますし、実際につけていますが^^;、理由はどうでもいいんです。
なぜそうするのか?

閃いたから。


それは、ハートの声なんです。


だけど、大概は頭の声に負けます。
頭の声が、理屈を持ってそれを打ち消すか、頭の声にすり替わるかします。


ハートの声を聞くには、頭の声が小さくなっていないといけません。

頭の声は常に混乱しています。
混乱が静まった時に、それは瞬間ですが、閃きはやってきます。

瞑想が勧められるのは、瞑想は頭の混乱を沈めるのに非常に有効だからです。
頭の混乱が静まっているから、ハートの声が聞こえやすくなる、閃きがやってきやすくなるんです。
ハートの声は叡智です。
それは頭の声のいう事とかなり違う事をいうかもしれません。
常識では考えられないことを言うかもしれません。

でも、それは、限られた知識の狭いフィールドでしか考えられない頭の声とはまったく違う世界からやってきます。

もちろんどっちを信用しても良いんです。

ただ、閃きとはそういうものなのです。
もし閃きが信用できないとしても何も問題はありません。
まだその時期ではないだけなのですから。


混乱の中を生きても、叡智を信用して生きても同じ人生です。
大事なのは、自分の意思で選択できている、という事です。

  
Posted by アド山さん at 11:15Comments(0)メッセージ

気付き

2014年02月27日

大事なことは、気付く、という事です。


笑顔を作るにも、まずは笑顔でなかったことに気が付かなければ笑顔が作れません。
渦中において混乱に巻き込まれたままだと、笑顔が無くなっていることにすら気が付けません。


まずは、気付く、ことです。


気付けば良いのです。
今、自分はこうなんだ、と。


その時の自分に善し悪しはありません。
ただそうであるだけなんですから。^^
ただ、状況に流されてしまって選択肢を失ってしまった状態から、気付く、ことで、自分で選択できるという自分主体に戻ることが出来ます。

何をしているかは実はそう大きな問題ではないのです。
同じように混乱の中にいても、混乱していることに気が付いているかいないか。
問題は混乱ではないのです。

伝わりますでしょうか?

気付けばそれでいいのです。
そして、気が付いて、自分が本当にしたいようにしていけば良いのです。

それだけです。

  
Posted by アド山さん at 01:02Comments(0)脱却

全ては最良

2014年02月20日

どんな事も最良の事として起きています。

最良以外の事は起きないのです。



そんな事はない、と思います。
だって、これこれなんか、このせいでとんでもない事になった。最悪と言ってもいい。
どこが最良なものか!!と思います。



最良とは、善し悪しの事ではありません。
それはあくまで価値観の話です。比較の話です。その狭いフィールドの中での価値の話です。
フィールドが変われば、同じ事でも、いい事にもなり悪い事にもなります。
良い事とは不変ではなく、フィールド、価値観によってもたらされるので、時代によっても変わるでしょうし、個人の価値観でどうとでも変わっていきます。

伝わりますでしょうか??


最良とは、それでしかあり得ない、という事です。

それでも考えます。
もっとこうすればこうなったのではないか。もっとこうした方が良い結果を得られたのではないか。きっとこの悪夢のような結果はこれこれしたせいだ、とか。
そのどれも、たられば、の話です。^^
どうとでも言える程度の話です。

そこに出てきた現象は常に最善であり最良です。
それしかあり得ないからです。
それとそれをどう評価するのかは別の話です。

伝わりますでしょうか??


考えては絶対に納得のできない事です。
「最良」という言葉に惑わされるかもしれません。
それでもあえて「最良」という言葉を使いますが^^;、真意を汲み取って言葉を当てるのなら、いまはやはり「最良」が最良だと思うのです。^^


どんな結果も全て次のステップです。
どんな結果もゴールではありません。
水の流れのように、常に形を変えながら流れていくその瞬間を見ているだけです。

全体をみれば、そこには最良しか存在しないのです。
くどいようですが、善し悪しの最良ではありません。それしか起こりえなかったのだ、という意味での最良です。


これを知った所で、それを飲み込んだ所でなんになるのだ、と思うかもしれません。
それでも言える事は一つなんです。


起こる事しか起きないのです。


その後悔も、先への失望も、それはいま起きている事ではありません。
その事に気が付く為に。

頭の中のごちゃごちゃを、すっと流せた時、ちょっとした奇跡が起きるかもしれません。
それもまた、起こる事だけが起きているのだという事ですが。
それを、南無阿弥陀仏、と言います。



徒然に書いたら、こんな感じになっちゃいました。^^;;

  
Posted by アド山さん at 00:32Comments(0)メッセージ

笑顔です。

2014年02月12日

笑顔が一番です。^^


笑顔なんかになれない。
そんな時ほど、笑顔でいてください。


無理して笑っても、虚しいだけだ。笑顔なんかになれるもんか。

だからこそ笑顔でいるのです。


辛いから無理して笑顔になってそれで辛さを忘れようという事じゃないのです。
辛いものは辛いんですから。
ただ、だからといって、沈んだ顔でいて、何がどうなるっていうのですか??
辛い顔をしていたら、誰かが気が付いてくれて救ってくれるような気がするのかもしれませんね。
こんなにも辛い顔をしているのに誰も気を向けてくれなくて、だから、自分は一人ぼっちだって、そんな風に打ちのめされているのかもしれませんね。

そうやってどんどん悪循環にハマっていきます。
救い出してくれる誰かが必要なんです。

だから救いの手をみれば力一杯にぎって、そしてその手にすがりつきます。
救う方からすれば、それはそれで命がけかもしれないですね。溺れる者藁をもつかむ、ですから。^^;


信じてください。
笑顔でいれば、すべてが変わります。

自分に笑顔が消えている時こそ、笑顔がない自分に気が付いて笑ってください。
それは、自分に対する気付きです。
小さな第一歩です。

たくさんの小さな一歩はやがて大きな変化へと繋がっていきます。
でも、何が変わったのか、いちいち詮索しない事も大事です。

大丈夫です。自分の人生を信用してください。
信用して、笑顔でいてください。


本当はもの凄く簡単な事です。
ただ笑顔でいればいいのです。
笑顔でない自分に気が付いて、ふと口元をゆるめて口角をあげるだけでいいのです。



笑う門には福来る


これは本当の事です。



自分が笑顔になる事。それだけでいいのです。

  
Posted by アド山さん at 23:51Comments(0)メッセージ

自分について

2014年02月02日

何を書きたいって訳じゃないんだけど、書いてみよう。^^;


色々と書いてますけどね、あれです、僕は悩みを克服したわけではないし、思考を手放して楽に生きているわけではありません。
いたって普通です。^^


それでも、以前からするとずっと生きやすくなっています。

いまは、変わりたいと願う事もないし、何かに向かって一生懸命に努力するわけでもありません。
でも、変わる事を拒むとか、頑に努力しないようにしようとか、そういう事でもありません。

いつもそうであるわけではないのですが、それでもずいぶんと素直に生きているような気がします。


不安はいつもあります。
でも、その不安に囚われ続ける事はありません。


まぁ、どうにかなるのさ、と思うようになってきましたし、実際にそうなっています。

執着がずいぶんと無くなって来たのかもしれませんが、無くなったわけではありません。ただ、執着している自分、というものを感じる事が出来るので、囚われ続ける事は大分少なくなってきました。^^
自分自身が判断を下すときも、その思いがどこから来ているのか、それを何となく感じます。
いわゆる観念からの判断も多いですが、それが観念である事を知っています。
そして、観念から判断する事も否定はしません。

そんなもんだよね、って感じです。


そうやって感じていくと、自分とは傍観者であるような感覚を覚えます。
自分とは、傍観者であり体験者なんです。
ずっと体験者であると思っていましたが、体験している事を認識するものがなければ体験を認識できないっていうね。

いままで意識する事がなかった、傍観者。
傍観者であろうとする事ではなく、体験を傍観している意識。それこそが本来の自分です。
どんな時もそこに在るそれです。
そこに意識を寄せる事が出来れば、その瞬間で全てはクリアになります。
そして、それこそが「いまここ」なんですね。
いまここの体験は体験です。
それ以上もなければそれ以下でもない。
良いもなければ悪いもない。
それを体験する為に、いま思うこの自我を持って、いまここに存在しているのです。
自我がなければ、体験が出来ないのです。

非常に分かりにくい話ですが^^;、ま、そういう事です。。。

どんなに深刻でも大丈夫なんです。
だって、全て自作自演なんですから。
その自作自演を評価したり、それの意味を考える必要もないと言えばないのです。
元々はそういうものです。
それを評価したり、意味を考える事は、真っ白な紙に色を乗せる作業に似ています。
そうやって、カラフルな人生という絵を書いているのです。

同じ出来事でも、その色は変えられます。
その為には、一度引いた目線になってみるのが手っ取り早いのかもしれませんし、一度そうしようとしたそれを手放した方が早いのかもしれません。
それは人それぞれです。

でも、一つだけいえるのは、



本当の自分とは、その体験している自分を認識している自分です。


それに気が付いて人生を生きてみるのです。
だって、いままで全然それに気が付けずに生きて来たんですから。

そして、本当にしたかった事は、そうやって自分で隠して来た自分に気が付く事なんです。
自作自演のかくれんぼ。
自分で隠して、その自分が自分を捜す。

だから、人生はリーラ(神の遊び)とも言うんですよね。^^
  
Posted by アド山さん at 02:17Comments(0)自我と言われるものいまここ

ハートに聞いてみよう

2014年01月28日

自分は一体どうしたいんだろう?


それは、どんな時もどんな事も全部自分自身が知っています。

でも、今自分だと思っているその自分が知っているわけじゃない。


あくまで方便だけど、頭の自分に聞いてもダメ。頭の自分が今自分だと思っている自分です。

ハートの自分に聞いて。

でも、ハートの声はとても小さい。
そして頭の自分は、自分こそが本当の自分だと自己主張するから、だからとってもうるさい。
だから、どうしても頭の自分を本当の自分の声だと思ってしまう。

でも、本当の自分なら、我こそが本当の自分なり、とする必要もなければ、うるさいほどに思考を止めない、なんて事もしなくていいんだけどね。^^;


頭の自分は非常に論理的です。
過去の経験からいろんな事を判断するし、そこから生まれたたくさんの観念に基づいて判断します。
比較も大好きだし、常に評価というレッテルを貼り続けます。
だからね、結構疲れるの。^^;

ハートの自分が本当の自分。
ワクワクするって事があると思うけど、ワクワクはハートの自分。
ワクワクするって事は、それはハートの声なんだよね。

でも、そんなにハートの声が聞こえても、頭の声が全部かき消してしまうし、評価してしまう。
本当はこうしたいんだけど、でもこうだから出来ないよなぁ〜、なんてのは典型的な例かもしれないですね。


思いのままにするってのは、ハートに従うって事。
ハートに従えているかどうかって言うのはワクワクしているかどうかって事。

それだけ。


したい事が出来ないのは、頭の声に主導権を渡しているから。
もちろん頭の自分も自分だからね、それが悪いって事じゃないし。
でも、もうちょっとひいて考えると、頭の自分が、本来の自分の従者の立場であって主の立場ではないんだよね。
もちろん、全然そんな風には思えないけど。
どうしてって?
だって、そう考えるのは頭の自分でしょ?^^

でも覚えておいて欲しい。
頭の自分とハートの自分がいるって事。
そして、本当の意味での自分ってのは、ハートの自分だって事。
それに気が付く為にわざわざ頭の自分がいるって事。
ちょっとしたカラクリです。^^


どうして良いか分からない、そんな風に追いつめられた時、ハートの自分に気が付くチャンスでもあります。
ハートの声は本当に小さいし、声を大きくする事も出来ません。
だから聞こえないんですが。

そんなハートの声を聞く方法は一つ。
頭の声を小さく小さくする事。もしくは黙ってもらう事。

だから言うんです。
リラックスしましょう、ってね。^^

たまにはハートの声も聞いてあげてください。
  
Posted by アド山さん at 01:50Comments(0)幸せ

いま、ここにいる

2014年01月21日

いまここ。


凄く大事な言葉です。


だって、僕たちはずっといまここにいるのですから。
それ以外の日時、場所にいた事はないんです。


ずっと、いま、という時にいるし、ここ、という場所にいます。


頭の中にある心配や不安、それは一体いつ、どこの事ですか?
いまここ、ではないですよね?


存在する物は全て、いまここ、にしかありません。
だけど、ずっと、今でもここでもない物を追いかけ、時には心を痛めます。
でも、そうする事が悪いという事ではありません。

ただ、どんな時もいまここしかないわけですから、だから一体何をしているのでしょうか?という事です。^^


だから、いまここに戻って来た時に、そしてその感覚が分かった時に思わず自分の自作自演のばからしさや深刻さに笑ってしまうのです。
いまここにくつろぐ事。
それで良かったのです。
ここにいていいのです。もちろん出かけても良いのです。
そこに自由があります。
その自由を楽しむ為に生きているのです。

でも、出かけなければいけない、更には、いまここという本来いる場所すら分からない・・。
こうであれば、そこに自由を感じる事は難しいでしょう。


どんな時もいまここにいます。
大丈夫です。
どんな時も大丈夫なんです。


何をどう思っても、いまここ、しかないんですから。
それが腑に落ちると、いろんな事はシンプルになっていきます。
そして、シンプルである事が分かっているから、その周りのごちゃごちゃを楽しめるようにもなって来るのです。
だって、いつだっていまここに戻って来れますから。
というか、ずっといまここだったんですから。^^
  
Posted by アド山さん at 17:42Comments(0)いまここ

取り戻す

2014年01月14日

自分自身の人生を自分自身に取り戻す事。


僕たちは常に怯えながら生きています。
怯えながら生きているのですが、怯えている状態がデフォルトなので、常に怯えている事にすら気が付いていないのかもしれません。
それほどまでに抱えている怯えは多いのです。

ストレスを抱えるのも当たり前と言えば当たり前なのです。
だって、常に自分を現状を否定しながら生きているのですから。
常に不信感を持ち、その不信を打ち消す為に頑張っているのですから。



でも、その不信や恐れその物は幻影みたいな物です。
それを相手に戦っている訳ですから、実体のない相手ですから、勝てるはずがないんです。というか、それに打ち勝つって事自体が実はあり得ないんです。
勝ったとか、負けたと言うのも、その感覚はあるでしょうが、実体ではなく幻想相手にやっている訳ですから。。^^;
うん、だから、その前提がひっくり返れば全てが終わります。


全ての幻影は自分の在り様が作っているだけなんです。
だから、在り様が変わらなければ、いくら外に見える物を変えた所で、同じような想いを抱き、同じような問題に直面するのです。
逆に、在り様が変われば、外側もどんどん変わっていきます。
正直、変わっても変わらなくてもどっちでもいいのです。
本当の意味でそうなった時に、いままで苦しんでいた事はほとんどなくなっているはずです。ひょっとしたらそういう事自体もうどうでも良くなっているかもしれませんね。^^;

もし問題があるとして、その問題を解決する方法は一つです。
それを問題としない事です。^^;
そんなもんなんです。^^


でも、と考えます。
では、その考えをもっともっと深く注意深く観測してみてください。
それは、本当に自分がしたい事なんでしょうか?

自分が主体だから自分がしたい事しかできないはずです。
という事は、自分以外の何かに主導権を渡していたとして、では、それすらも自分がしたい事ではないのかな?と思います。




その通りです。^^


では、その苦しみも、自分自身がそうしたいとしている事なのかな?と思います。



その通りです。^^



主導権を自分に取り戻す、と言う言葉で言っていますが、なんて事はない、取り戻すも何もはじめっから自分自身をちゃんと生きているんです。
後は、その夢から醒める事です。
無明から醒めるのです。


取り戻すっていうと語弊はありますが、自分自身を取り戻すと言うのは、取り戻すも何もずっとちゃんとここにいる訳ですから、言葉でいえば、勝手に何処かに行かないってだけの話です。
ただ、ここにいればいいんです。

ここってどこ?って話になれば

「いまここ」

です。

ずっと「いまここ」にいるのに、それにすら気が付いていないでしょ?って話です。
だからメンドクサイんです。

僕たちはずっと「いまここ」にいます。それ以外の所にいた事はないです。
でも、それ以外の所を探したがるんです。
そして、「いまここ」にいながら「いまここ」にいないと言う離れ業をやってのけるのです。
そして自分を見失ってしまうのです。

  
Posted by アド山さん at 01:11Comments(0)自我と言われるもの